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ビジネス書・たま〜にノンフィクションの書評 

【読了】私とは何か 「個人」から「分人」へ

私とは何か 「個人」から「分人」へ
講談社現代新書

著者:平野 啓一郎

 

どうも!こんばんは!
今回は短いスパンで記事が書けました(笑)
最低でも3日に一回ぐらいには更新したいので、頑張っていきます!

 

さて、本日は前回のWE ARE LONELY、BUT NOT ALONEの佐渡島さんが巻末に紹介されていた「私とは何か」です!実は前回の記事には載せていなかったんですが、もう一つかなり刺さった言葉があって「自分の事を正しく知る」ということ。実際、「自分の事を正しく知る」ということをどの程度の人ができているのかというと、大半の人はできていないんじゃないかと思うんですよね。

 

本書は冒頭にある人間の基本単位を考え直すことが目的と言っている。普段からよく言われる日本語で「個人」という単語がある。「個人」は英語のindividualの翻訳で明治時代に一般になったと言われ、本来その語源から「不可分」、要するに「分けられない」という意味で、これまで当たり前のように「個人」という言葉を使い、その言葉に対し深く考えたこともなかった自分にとって新鮮な内容だった。

 

よく聞く言葉に「本当の自分」はこうじゃないとか「自分探しの旅」に出るとかありますよね。本書でも言及されている事ですが、そういう悩みを持っている人なら一読の価値ありと思いますね。特に日本人は多いのかもしれませんが、自分を責めすぎる傾向にある人は考え方として知っておいた方がいいと思います。


本書では「分人」という考え方を提唱している。
人間一人の人格は一つではなく、対人関係毎にキャラを使い分けている(←これが分人)側面が誰にでもあるのではないだろうかという話。興味深く、自分に置き換えて考えた時にも相当あてはまる部分があると感じた。価値観が多様化しているのは普段の実生活でも実感としてある。特に世代が違う人と話すと、相当ギャップを感じる事が多々ある。こういった多様な人間と関わる中で一つの人格で収まらないのは、よくよく考えてみると、ごく当然の事とも思える。

 

そして、本書では分人が発生するプロセスはざっくり3つに分けられるという事で以下の3つになる。

①社会的な分人
②グループ分けの分人
③特定の相手に向けた分人

このプロセスもいちいち納得できるというか、腑に落ちるというかそういう感覚があった。私たちは複数の分人の集合体であって、一つではない側面を持っているからこそ精神を保てる部分も実際ある。重要なのは分人という考え方は他者ありきで成り立っているという点だと個人的には思うし、最も納得できた部分でもある。


著者は小説家の平野 啓一郎さん。1999年に「日蝕」という作品で芥川賞も受賞されている。当時はまだ相当若かったと思うが、自分のその当時とは比べ物にならない...まあ比べる必要もない(笑)
数々の作品を出され、本書の内容に言及されているものもあるようなので、そちらも読んでみるとより理解が深まるでしょうね。

 

私自身も今振り返ると、一つの人格に縛られていたなと思う時期があった。
感情的になって喜怒哀楽に振り回されている状態ですかね。それは今考えると、絶対的に一つの人格に捉われ過ぎていて、精神が不安定な状況だったんだなと改めて気づかされました。とにかく冒頭にも言ったとおり、「自分の事を正しく知る」ということを多くの人はあまりやっていないのではないかと思うので、見つめ直すという意味では打ってつけの内容だと思います。